"New Look" and Esprit Dior. / ムッシュー・ディオールのモード革命。

時代に挑戦するメゾン、クリスチャン・ディオール。 ラフ・シモンズが2012年にクリエイティブ・ディレクターとなり早二年。 ランバンのアルベール・エルバスに断られたこともあり、しばらく空席だったディオールのトップデザイナー。 当初はラフ・シモンズの選出に驚きの声も多かったような気もしますが、見事なコレクションを重ね、毎回大きな注目を集めています。 銀座で大きな展示会『 エスプリ ディオール -ディオールの世界 』があったので行ってきました。 ムッシュー・ディオールについてはほとんど知らなかったので、デザイナーとして成功するまでのキャリアや交友関係など、パーソナルな展示部分がとても面白かったです。 ディオールは元々建築家志望だったようですが、両親の賛成を得られず画商になります。 23歳で2軒の画廊をひらき、そこで後の20世紀の偉大な芸術家を紹介しています。 当時の交友関係はその後の制作にも大きな影響・協力を得ていて ドレス“ピカソ” ドレス“ダリ” ドレス“マティス” などデザインやドレスのイメージになっています。 ジャン・コクトーとの友人関係は有名でしたが、そのほかベルナール・ビュッフェやシャガールなど名前をあげればきりがないほどいろいろなアーティストと親交があったようです。 1933年にシュールレアリスム展を開催したあと、29年におこった世界恐慌の影響もあり画廊を閉鎖します。 これが大きな転機となり、アトリエでオートクチュールを始めます。 1947年2月に無名のクチュリエが開いたひとつのファッションショー、それが世の中を変えた“ニュールック“の登場になったのです。 会場1階では“ニュールック”のアイコンでもあるバースーツを間近で見ることができます。 戦争による混乱や物資不足、そしてなによりションボリしぼんだ気持ちが充満していた1940年代、女性の洋服が男性化していました。 四角く硬い質感のものが定番だった当時、くるぶしくらいの長さのフレアなスカートやウエストを美しく見せるシルエットなど、曲線が効果的に映えるエレガントな装いは斬新そのものでした。 その後、1947年に「ミス・ディオール」を発表。 大胆で才気に富...