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”Whose place is this?” / 『ここはだれの場所?』展

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かなり前に行った東京都現代美術館の 『おとなもこどもも考える ここはだれの場所?』 展。 石垣島に流れ着いたプラスティックのごみをあつめ、美しく、強いメッセージを込めて作られた ヨーガン・レール さんの作品。 よくこれほど集めたな…と思う量です。 ファッションデザイナーとしてしか存じ上げていなかったのですが、素材を大切にする彼のポリシーが自然や地球そのものへの大きな意志であるとかんがえると、こういった作品もひとつの線でつながります。 ごみのランプ。 少し前に撤去依頼があったりなかったりで話題になった会田家の展示も壮大でした。 奥様の岡田裕子さんの作品は初めて見たのですが、これまたよかったです。 ビデオ作品で、息子・寅次郎くんについて「ちゃんと育つかしら、と心配になるんです。」といっていたのがジーンときました。 芸術家らしく、非常識?破天荒?な所があると私は思っていますが、母として素直にこどもさんを心配されていて、立派に子育てをされているんだな~と感動しました。 ご両親とは違うかたちになるのかもしれかせんが、寅次郎くんの今後の作品・表現も注目したいです。 「住む:プロジェクト―もうひとつの国」の展示。 ゆっくり展示を見た後はお決まりのベトナムカフェ、 Càfê Hai(カフェ・ハイ) へ。 がっつりフォーなどを食べてもいいし、バインミーとお茶だけでもいい。 とにかくここへ来たからには絶対よるカフェです。 ベトナムコーヒー。 普段コーヒーに砂糖はいれませんが、ベトナムコーヒーは別! あのたっぷりのコンデンスミルクが癖になって、これを頼まずにはお会計できません。 ■  おとなもこどもも考える ここはだれの場所? 東京現代美術館 東京都江東区三好4-1-1 2015年7月18日(土)―10月12日(月・祝)

Mirror Neuron / “時代を買う”、コレクターのまなざし

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きょうは、駆け込みで 高橋龍太郎 さんのプライベートコレクション、Mirror Neuron展を観にいきました。 日本の現代アートの教科書とも言える高橋コレクション。 いまや国内外屈指の量、そして質を有する個人コレクションです。 タイトルにもなっている ミラー・ニューロン とは、(すごく簡単に言うと)他人の行動をみて「鏡」のように自分も同じ行動を取っているように反応する神経細胞を指すようです。 それは他者との共感や模倣行動を司る細胞とも考えられています。 人間は、手を自由に使い文字を得て思想を高めていくわけですが、こういった、言わば “高度なコミュニケーション” を可能にした原点となる細胞ともいえるでしょう。 このミラー・ニューロンにより、個が集団に影響を与え、行動や学習を効率化していく…。 日本の現代アートによく見られる「型」あるいは「なぞらえ」は、「模倣」や「引用」を多用する現代アートの世界的潮流と不可分であるだけでなく、日本古来より続く美意識に則ったものです。 アート、特に現代アートがもつちから、それは集団に魔法をかけるミラー・ニューロンを強く意識させる一方で、あたりまえにしていた自分の行動がオリジナルではなく「模倣」行為ではないかと立ち止まらせる怖さではないかと思います。 一見、キャッチャーで親しみやすい作品が多い現代アート。 ただ、そのなかにある普遍的な「不安」はこのミラー・ニューロンなのかな、とおもいました。 なんでも解明されてしまう「科学」への不安。 自分だと思っていたものが実はそうじゃないと気づく不安。 もはやオリジナル(原型)が見つからないという不安。 現代アートをみていて思うのは、素材の多様性です。 (もしかしたら過去にも存在し、その素材の特区頂上残っていないだけなのかもしれませんが。) 名和晃平 さんの最新作で、高橋氏のために制作された《PixCell-Lion》。 140近く展示されていた作品をみていくと、木や紙以外にも、クリスタル、なにかの繊維、動物の剥製など…。 本当にいろいろな素材が使われています。 見ていて単純に美しい作品もあればそうでないものも。 投機的な目的でアートの個人コレクターになるひとも多いと聞きますが、作家や...

MoMA in Hong Kong. / 香港の新しい顔、M+。

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ニューヨークの MoMA 、パリの ポンピドゥー 、ロンドンの テート・モダン 。 大都市では、人口や経済はもちろん、文化のサイズも重要です。 アジアの雄・香港もまた経済発展にあわせて文化的充実を図るため、新しい美術館を作っているようです。 2018年に開館予定の 「 M+ (エムプラス) 」。 デザインはHerzog & de Meuron + TFP Farrellsチーム案に。 倉俣史朗 氏が手がけた寿司店「きよ友」を丸ご移動し、収蔵されることが決まり少しニュースになったので、わたしたち日本人はそのニュースで美術館のことを知った人も多いかもしれません。 内装・外装をすべて移築するというはなしなのですが、さすがテート・モダンの倍、MoMa本館の5倍の敷地を確保しているだけあって、豪快。 作品の購入予算も破格で、ニュースによると約230億円を超えるようです。 インテリアデザイナー、空間デザイナーである倉俣史朗氏の作品を高く評価していることもそうですが、この新しい美術館では、絵画や彫刻など従来の美術品に加え、映像や建築、メディア・アートなど同時代的なものがたくさん集められる予定で、中国の作家はもちろん、アジアの芸術を充実させるとのことでした。 以前、 ヤゲオ財団が保有するプライベートコレクションの展示会 に行きましたが、中国人アーティストの作品はすごくおもしろく、今まであまり注目してこなかったことを後悔しました。 集める人の視点によって、まったく違うコレクションが生まれます。 いままでの名門美術館はどうしても西洋にばかりあり、アジアの作品はなかなか評価されていないのも事実だと思います。 こういった文脈の中で、日本人の作品が再評価され、日本のアートシーンにも刺激になるといいなあ、と思います。 【参考】 アジアに新拠点、集まる世界のアート @The Asahi Globe 「香港はきっとアジアの現代美術のハブに」。 「きよ友」は2014年5月にM+が購入。 ファサードとインテリアを解体する様子や、関係者のコメントを収録した動画も。

Leather Forever by HERMES. / エルメスのレザーのものがたり。

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エルメスの特別エキシビジョン、「LEATHER FOREVER」。 長蛇の列ができることも納得の、わかりやすく、刺激的で充実した内容でした。 実際のレザーに触れられるスペース。 鞄のデザインを選ぶと、その型紙がレーザービームで表現されます。 名前は「ズーズー」。オーストリッチ。 会場は洋風建築を代表する建物、表慶館。 ケリーの中にいろいろなバッグが。 ブランドとしての知名度も高く(awareness)、クオリティやデザインへの信頼性も抜群で、プレミアムブランドといえば…「エルメス!」(recall)と実力もトップ。 なぜこれほどお金をかけてエキシビジョンを行うのかな、と思ったりもします。 もちろん、企業としてのCSR的な意味もあるし、伝統を守ること自体メセナ活動だし。 マス向けに“世界観” を訴えるのって難しい。 けど、その一つの手段がこういったエキシビジョンですよね。 実際、エルメスの直営店に足を運んだことがない人も、こちらの展示を観に行ったのでは、と思います。 すでに商品、ブランドが【良い】ものであると認識されているブランドが目指すもの、それって世界観の共有だと思うんです。 物質的なものに懐疑的で、ノームコア、例えば「流行がないことが一つの流行」とも言われている今。 売るのは“世界観” という思想に収斂されてきているのかな、と。 ディオールの「エスプリディオール」もそうですが、2014年はファッションブランドによる大規模なエキシビジョンが多数ありました。 また、常設で展示スペースを持つのはエルメス( フォーラム )以外にも、ルイ・ヴィトン( ESPACE )やシャネル( NEXUS HALL )などがあり、プレミアムブランドほど熱心です。 グッチの フリーダ・ジャンニーニ は、東日本大震災の被災地行った際、グッチとして一億円の寄付をしました。 「グッチは今パワーがあるからファッションを通じて何かができる。社会に対して柔らかな取り組みで貢献できる」と。 5年後、10年後これをキッカケに親近感を持った人たちが、どちらかを選ぶとするとグッチを選ぶ、そうなればいいし、そういうブランドでありたいよね、ということらしいです。 値段が高...

"Discover Japan" at Tokyo Station Gallery. / 「ディスカバー・ジャパン」展。発見する楽しさ。気づくちから。

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1970年代の当時の国鉄の広告キャンペーン、 『ディスカバー・ジャパン』 についての展示に行ってきました。 via TokyoArtBeat 『ディスカバー・ジャパン』とは、 万博閉会後の1970年10月にスタートした大々的な旅行促進キャンペーンです。 広告主は富士ゼロックス。 「国内旅行の広告ポスターになんで英語を使うんだ」といわれるような時代に『ビューティフル』という単語をキーにしたり、外国人モデルをメインに使ったり、かなり実験的な取り組みだったようです。 脱広告。商品を宣伝しない広告。 電通の 藤岡和賀夫さん がメインプロデューサーとなり、広告の持つ公共性、社会へ提言する力、そういった広告の文化価値を追求したものでした。 ちょうど 万博 が終わり、高度成長期が静かに終わろうとした時期。 豊かさとひきかえに人間性を犠牲にしてはならない。 調和ある進歩、真に実りある幸福とはなにか。 など内省的になっていたタイミングです。 藤岡さん自身も、自らも深くかかわった万博に対する違和感があったとのこと。 多くのパビリオン、関連施設は取り壊しになりましたが、その費用は100億円とも言われています。 祭りのあと、とはよく言いますが、目のまえで万博の象徴が取り壊され、巨大な廃棄物となっていくのはきっと想像を絶するショックです。 夢から覚めた、と同時に、終わりのないリアリティと向き合わなくてはいけなくなりました。 だからこそ、この時期に彼自身が誰よりも強く価値転換を求めたのかもしれません。 『ディスカバー・ジャパン』では印象的なポスター、新聞広告、その他にもスタンプラリー、グッズ販売、関連季刊誌(ムックのようなイメージ?)の発行、ラッピングトレインなど複数のメディアがミックスされていました。 毎日新聞紙では錚々たる執筆陣&アーティストが寄稿しており、 ハイレッドセンター の 高松次郎さん といった当時最先端のアーティスト、建築家のミシェル・ラゴン、 高階秀爾さん といった美術評論家、宇宙研究家から音楽家、思想家、起業家などの記事が並んでいます。 とにかくメンバーが豪華。 そして誌面のデザイン性がめちゃ高い。 “紙上万博”といっても過言ではありません。 こういった時代の葛藤や転換期独特のパワー...

The Way to Release the Stress. / わたしのストレス解消法。

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ストレス解消法、ありますか? わたしの場合、振り返って考えてみるとショッピング、芸術鑑賞、ブログです。 この秋わたしのワードローブのニューカマーは 赤が強めのundercoverのミニスカート と、フェラガモのショートブーツです。 とにかく、コレ!というものに出逢うと、『生きててよかった。 明日もまた生きよう。とりあえず。』と思えます。 毎週のようになにか観ていますが、来週はちょっと遠出して二度目の来訪・三島の クレマチスの丘 に行こうと思っています。 ハタチのころより広い心で、先入観を持たず、幅広く足を運ぶのが最近のスタイル。 過去の巨匠の作品も変わらずすきですが、いまおなじ時代を生きる現代アートが一番アツいと思っています。 最後のブログです。 はじめたころは、まさかストレス解消になるとは思ってもみなかったのですが、アウトプットの方法がひとつ増えただけで随分変わりました。 思っていることを文字にするだけで結構スッキリします。 インプットがうまくできないときもイライラしますが、 アウトプットも然り。 仕事は確かに自己表現の場ではあるけど、実際はいろいろな規制がるし、 別に自由に発言ができるわけはないし、 友達といえどもみんながみんなきょみを持っている話題かわからないし。 とはいえ、かなりの部分、友達を捕まえては(たとえ興味がなくても)アウトプットの的にはしてきました。 しかも、コミュニケーションとは素晴らしいもので、なにかしら産み出します。 もしかしたら、ソクラテスの問答法・産婆術的効果もあったかもしれません。 ただ、会話は消えてなくなります。 せっかくまた考えたのに、馬鹿だからすぐ忘れる。 なんとか記憶したい。思考したい。 よし、書こう。 考えていることを発表できずにまとまりかけたことを忘れる、 そのストレスから解放してくれるブログ、見つけてよかったです。 一時期、NAVERまとめを作ってストレス解消していましたが、最近はあまりまとめたいものもなく…。 “まとめ” 系のキュレーションサービスがにぎわっていますが、 個人的には2,3年後に残るのはわずかかと。 iemo や MERRY も 買収された し、 「インテリア・DIY・収納・家具・雑貨など生活の情報が集まるプラ...

Nude and Still-life Paintings. / 裸体と静物画。

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美術館に行くと、考えてしまいます。 かれこれ、西洋絵画とはずーーーーっと 裸体と静物画だったんだな、と。 ポップアート くらいまでは、描く対象があまり変わっていないような気がしています。 静物画は名の如く、基本的には 動かないものを描いています。 17〜18世紀ごろはもっぱら人間の虚栄をむき出しにするものとして使われ、 時間という謎に対する問いかけ、 さらには死や生命について考えるための大テーマでした。 また、著名な画家ほど 大作の合間に静物画を描くようです。 音楽家が音階を弾くように、 絵かきは技術を確かめ精進するために静物画を描くようです。 一方、裸体は 人間の真の姿、 一番単純でこれ以上になく完璧・重大なテーマであり、 古代からずっと古典であり 時代を超えた“ひとの姿” ででした。 とにかく興味深い対象だったという意見もあれば 神話やキリスト教といった高尚なエピソードを借りて、 ただただ “裸” を描く口実にしていたという意見も。 特に近代の裸体画を観るたびに、 なんだかんだ 後者の理由が圧倒的じゃあ…、と思わずにはいられません。 すきな画家、と言われたときに わたしは マティス(Henri Matisse ) と アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres ) を挙げます。 マティスはその自由なイメージ、最後の最後にはいつも 希望を残してくれるような絵がいつまでたってもすきで 一方で、アングルは艶めかしく、体温さえ感じられるような表現、 ドラマティックな構図に心が奪われています。 《アンジェリカを救うルッジェーロ》 こちらの絵はイタリアの大叙事詩、 『狂えるオルランド Orlando Furioso』 の一遍が描かれています。 主要登場人物のひとり、 ルッジェーロ (名門貴族・ エステ家 の始祖)は 身体の前半身が鷲、後半身が馬の伝説上の動物である ヒッポグリフ に騎乗し 様々な冒険をします。 そのなかで、魔法の盾でオルクと呼ばれる海の怪物を退治する場面が描かれています。 ただ、正確にはルッジェーロはオルクを追い払ったのみで、 のちに主人公 オルラン...

A Man in a classic suit @Musée de l'Orangerie / オランジュリーの紳士。

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近代の絵画の発展において 画商(ギャラリスト)やアートディーラーの存在は大きい。 特に、印象派がここまで大きな影響力・ムーブメントとなったのには 当時活躍した ポール・デュラン=リュエル や アンブロワーズ・ヴォラール の存在があってこそ。 彼らは20世紀前半のフランスで 印象派 から エコール・ド・パリ に至る名作を 蒐集したギャラリスト(画商)、そしてコレクターです。 そのなかでも、 印象派と縁が深い画商、ポール・ギョーム(Paul Guillaume)のコレクションを 堪能できる オランジュリー美術館(Musée de l'Orangerie ) は外せません。 ふつう、オランジュリーといえば モネ の 《睡蓮》 。 《睡蓮》 の展示。写真はwikipediaより。 ツアーなど短い時間でこの美術館を訪れると 《睡蓮》 の連作しか観ない方もいらっしゃると思います。 もちろん オランジュリー美術館自体、 クレマンソーが 《睡蓮》 を飾るために作った場所ですし 傑作であることには違いありません。 ただ、巨匠が大作に挑むまでには 多くの人の力が必要だったことも忘れてはいけないでしょう。 《タンギー爺さん》。ロダン美術館蔵。wikipediaより。 例えば、 タンギー爺 さんのような画材屋さん。 ルノアールが描いた息子クロード。 たびたびモデルにもなっている奥様や家族。 そして、画商。 ポール・ギョームは死後、奥様の手によりそのコレクションの多くを寄贈 され、 現在のオランジュリー美術館が収蔵するほとんどの作品を形成しています。 審美眼をもった有能なビジネスマンでだったポールの場合、 自分自身も美術品コレクターになりました。 欧米では美術商が年老いて生涯を終えるとき、 そのコレクションをまとめて国や美術館などに寄贈することは 大変美徳とされたようです。 実際、高額な相続税やその保管の問題もあり 寄贈せざるを得ない場合もあるのだとは思います。 ただ、個人コレクションがパブリックになることにより 現在わたしたちが自由に観に行けるようになっ...

The Sounds of Water. / 山種美術館 《水の音》 展。(前期)

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またもや 山種美術館 に行ってきました! 今年はもしかしたらすべての企画を見ているかも… というくらい、この小さな美術館にはまっています。 キュレーションがおもしろくって 毎回テーマを変えては日本画の素晴らしさ、楽しさを教えてくれます。 お盆の来客数が減る時期を見込んでか 学芸員さんによるガイドツアー があったので それに入れてもらいました。 さて、今回は「水」がテーマ。 川、海、滝、雨の各セクションがあり、 古くは歌川広重さんの浮世絵から 現在も活躍中の千住博さんの「ウォーターホール」まで。 夏にぴったりの水というテーマですが わたしにはさらに「行かねば!」と惹きつけるものが。 なんと、前期にはマイホームタウン・鳴門の渦をテーマにしたものが3点もあるのです。 いまは橋が架かっていて描かれた風景ではありませんが、 大きな渦潮はめずらしいらしく 昔から絵画のモチーフになっていたことはとても面白いと思いました。 行かねば! まず、入ってすぐにあるこちら。 奥村土牛 さんの『鳴門』。 激しく躍動感があるはずの渦潮ですが どこか優美で柔らかい印象です。 金箔を貼り、その上に色を重ねているのだとか。 ゴージャスですね。 二作目はこちら。 3枚の連作。 歌川広重 さんの《雪月花之内 花》 の 『阿波鳴門之風景』です。 おいおい、花が描かれてないぞ! と言われそうですが、渦が花の代わりとなっています。 三つ目は屏風の作品。 左隻の一部。 川端龍子 さんのこれまた『鳴門』。 六曲一双と “会場芸術” を謳った彼らしい大型の作品。 院展(=要はメインストリーム)を飛び出して 新しい道を進もうとした彼の初期の作品とのこと。 真っ青な海の色に、白く泡立つ波。 ダイナミックで清涼感と躍動感が全面に感じられます。 非常に大型で迫力満点。 直前に “赤の元宗” こと 奥田元宋 さんの『奥入瀬(秋』もあり、 “青の龍子” と見比べるもよし。 企画の面白さ、展示の面白さ。 このあたりに、キュレーターの意気込みを感じます。 奥入瀬が大すきで晩年になっても奥様と訪れ デッサンをしていたという元...

Beauty of the blank. / 余白の美。

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『余白の美』。 一番好きな日本語です。 シンプルとかじゃく、無。 意図的な無。 シンプルとかミニマルとか、 近いかもしれませんが、 それはやはり西洋的な思考というか。 NHKのアナウンサーは、視聴者に考える時間を与えるため あえてトピックスとトピックスのあいだに時間をあけると聞いたことがあります。 なるほど、民放のニュースは確かに断間なく 何かしら効果音とかが入っている気がします。 テレビ朝日系 「熱闘甲子園」 の一瞬無音になるタメだったり、 あだち充の漫画だったり。 “無” が与える効果って大きい気がしています。 世界遺産のあの法隆寺にも 『余白の美』 を見つけることができるようです。 参考) 「空白の美」の原点、法隆寺の謎を解く 大陸の宗教建築物や宮殿は、中心に建物が威風堂々と連なり、 左右対称のものがほとんどなのに対し、 紫禁城@中国。 タージマハル@インド。 法隆寺は真ん中が空白の状態になっており、感情移入がしやすいらしいです。 確かに「威圧感」というよりも「引き込まれる」ような作り。 左:現在の法隆寺。 右: 四天王寺の南北・縦一列の伽藍配置。旧法隆寺もこのかたち。 伽藍配置という特徴的な造りです。 外国にこういう考え方があるのかな、とおもっていましたが わたしのなかで唯一思いつくのはウォーホルの絵。 『エルヴィス』。@福岡市美術館。 セレブリティシリーズにも、わざと無地のスペースを残した作品が多くあります。 約103億円で落札されました。 こちらは 《死と惨事》 シリーズのひとつで、 当時サザビーズで過去最高額がついた作品です。 シルクスクリーンを使った転写により しつこいほどの “反復” を好んだ彼の作品ですが このようにブランク・キャンバスをあえて並べたものが多くあります。 この空白のキャンバスの理由についてウォーホルは 単に絵が大きい方が高く売れるから、とうそぶいていました。 ただ、この余白は完全に意味があるもので、 反復されたイメージの隣にあるため その空虚感は大いに増幅されます。 時間の推移や虚無を感じ...

mission [SPACExART] - beyond cosmologies. / 『宇宙x芸術』?

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万有引力とは引き合う孤独の力である 谷川俊太郎さんの詩、 『 二十億光年の孤独 』 の一節です。 展示の一部。まるで宇宙! 宇宙。 ちいさなときはまったく見向きもしなかったわたし。 いまさらまさかこんなに興味が湧くとは…! ついに孤独の果てに来たからでしょうか… 古代から人類の天体や宇宙への関心は高く、 ギザのピラミッド。 スフィンクスはピラミッドを守っています。 ストーンヘンジ。 別名「天に架かる石」。 ナスカの地上絵。 一筆書きでも有名。 高松塚古墳の天文図。 天井石の天文図。星は金箔で描かれています。 など、先人の偉大な痕跡は 広い地域でみられます。 一方、わたしと宇宙とのささやかな記憶といえば、 やたらハマった 『ぼくの地球を守って』(少女漫画) SF超大作! 『宇宙兄弟』(漫画) 現在進行形。 そして、近年のスーパームーンと金環日食。 ちょっとこわい話だけど割と好きな映画、 『月に囚われた男』。 今はなき恵比寿ガーデンシネマで観ました。 galaxxxyで流行った宇宙柄。 結局は購入せず…。 それにしても、宇宙 x 芸術って言われてもピンとこない。 ただチームラボの作品があるから、 そんなきっかけですが、 『ミッション [宇宙X芸術] コスモロジーを超えて』 展 に行ってきました! お目当てのチームラボの作品その一はこちら。 《 紫舟》 書道家の紫舟さんの書がモチーフです。 完成した書は二次元で、静的なもの。 そこに現れる「生」を、3次元で描いた作品です。 暗やみの中、壁面に書が浮遊し、流れ落ちてゆきます。 ぐるぐる回っているうちに、 最初水が流れているように見えたものは どんどん様子を変え、より具体的なものに変わっていきます。 一部は鳥になり、木の幹や枝になり、花になり、ちょうちょになります。 じっと目を凝らしてみているのですが、ほとんど変わっていない…と見せかけて ゆっくりと姿...