The Art of Costume. / 魅惑のコスチューム、バレエ・リュス展。

楽しみにしていた 『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展 @新国立美術館』 にいってきました!

レオン・バクスト 「青神」の衣装。

バレエ・リュス、というのはロシアバレエという意味です。

1909年にパリで旗揚げされたバレエ団。
ロシアの野心的な教養人、セルゲイ・ディアギレフが主催した伝説のアート集団です。

当時、バレエといえば貴族やある一定以上のお金持ちのための嗜好品。
優雅で優美な女性的なダンス…といったイメージでした。

ワツラフ・ニジンスキー


また、当時の風潮としては同じ劇場芸術の中でも、オペラのほうが上。
バレエの人気は落ち着いていたようです。

そんなパリの空気をかえた、バレエ・リュス。
ロシアからきた彼らが披露したのは、ニジンスキーをはじめとする
超絶技巧の男性ダンサーたちの驚異的な身体性・跳躍力・躍動感でした。

当初古典作品を演じていた彼らも、数年後には新進気鋭の作家に新作を依頼し
衣装もオリエンタリズムを取り入れた斬新なもの
音楽も前衛的なものへと変えていきます。

今回の展示は衣装にスポットをあてたもので、バレエ団が解散した後
オーストラリア国立美術館がオークションなどで購入し、修復させたものが中心で
約140点もの豪華な衣装を間近でみることができます。


まずはレオン・バクストの作品。

異国風の舞台芸術と、衣装。
ヨーロッパにおけるオリエンタリズムへの情熱を再燃させました。

《火の鳥》の「不死身のカスチェイ王の従者」



《タマール》の「女王タマールの友人」、「女王タマール」、「レズギン人」の衣装


シェヘラザード》 1910年

ファッションデザイナー、ポール・ポワレにも大きな影響を与えてます。

こちらのドレスは1911年に開いた【千夜一夜物語】と題された
伝説のパーティのために制作・着用されたもの。


装飾的なドレスコスチューム。


バクストが去った1914年ごろからは、オリエンタリズムを経て
モダニズムに徐々にシフトしていきます。

重々しい、華やかな装飾美から、明るく軽い幾何学模様の世界観へ。


1917年初演の 《パラード》 では台本はジャン・コクトー、音楽がエリック・サティ、
美術と衣装がパブロ・ピカソ。
この作品はピカソによるバレエ・リュスのための初仕事でもありました。

1920年初演の 《ナイチンゲールの歌》 ではだいすきなマティスが衣装と舞台芸術を担当。

その後、ダンサーを動く “建築” とまで昇華させたデ・キリコの衣装も登場します。
デ・キリコはシュルレアリスムの作家で、古典建築を重んじた作風でもあります。

《舞踏会》の衣装


1920年初演の 《プルチネッラ》 や1929年初演の 《舞踏会》 はデ・キリコが担当。
《舞踏会》 では多重性・人間の欺瞞などデ・キリコが表現するのにぴったりなテーマ。

1924年初演の 《青列車》 はとにかくビッグネームがそろっています。
台本がジャン・コクトー、衣装はココ・シャネル、舞台幕がパブロ・ピカソ。



地中海に面する当時最先端のヴァカンス地であったコート・ダジュールの海水浴場が
舞台となっていることと、南仏とパリなど北フランスを結ぶ夜行列車「青列車」というなまえ
だったことから、タイトルが 《青列車》 となったとのこと。

衣装をつくるにあたっては、ダンサーの体の寸法測りは
現在もあるカンボン通りのシャネル本店にて行われたという逸話も。



とにかくモダン!
そして体に沿うようなシンプルなデザインはシャネルの神髄でしょうか。

アクロバットな表現力が多い演目らしいです。





どういった作品なのか、見たことがないものがほとんど。

やはりバレエも本物を観に行きたいなあ。



【参考】

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