"Himself He Cooks" / カレーを欲する聖なる物語。
ランガルという無料食堂があり、なんと毎日10万食ものカレーが参拝者に振舞われています。
材料はすべて寄付、調理スタッフもすべて有志のボランティアです。
300人くらいいるらしい“料理人”は、おじいちゃんから小さな女の子まで。
階段や広場に座り、寡黙に仕事をします。
ほとんど話さないのに、みんなおのおの持ち場があり、野菜の皮剥きがおわり、適当な大きさにカタカタ切られ、効率よく集められていきます。
レシピなんてなさそうなのに、到着した素材を次々と鍋に入れ、焼いたり煮たり、いろいろなカレーが出来上がっていくのです。
阿吽の呼吸とはこういうものなのでしょうか。
この映画で描かれているインドはとても清潔。
お寺に入る際にみんな足を洗い、
預けた靴はごはんを食べている間にピカピカに磨き上げられます。
食堂は入れ替え制で、その間に床掃除されます。
水で洗い流され、ほうきとクレーパーのようなもので短時間でスッキリ綺麗になります。
病気が移るといけないから、とお互いのスプーンは決して触れないように扱われ、洗い終わった食器は汚れがないかチェックされます。
食器や鍋類はもちろん、床に敷いているマットや石のお寺自体も食後に水で綺麗に洗い流され、明日に備えられます。
みんなができる範囲で協力し、なぜかピッタリまとまるのです。
インドは後進国。不潔。ガヤガヤしてる。
そんなイメージが覆されます。
叡智に満ちた食事システム(なんと地産地消!)、
配膳から皿洗いや収納まで収斂された完璧なフローあり、
寡黙に調理する人々と、列になって自分に食事が運ばれるまで待つ人々。
なによりも、カーストを超えた“輪”に驚きました。
カーストの低いものが作った料理を食べたり、カーストが違うもの同士が一緒に食事をすることはないはずのインド。
シク教はカーストを持ち込んでいないようでしたが、インドではやはりこの文化は隅々まで浸透しているはずです。
シク教はカーストを持ち込んでいないようでしたが、インドではやはりこの文化は隅々まで浸透しているはずです。
カーストから解き放つ聖なる場所、そこが食卓であったことは感動的です。
端的にいうと、みんなでカレーを作りみんなで食べる。
そういう話なのですがとても神聖でパッションを感じます。
端的にいうと、みんなでカレーを作りみんなで食べる。
そういう話なのですがとても神聖でパッションを感じます。
無料食堂は600年近く続いているらしいですが、最初は今のようなカタチではなかったようです。
どんどん進化し、提供できる食事の量も増え、カーストの壁も消えたようです。
わたしはあまり詳しくないのでカーストを否定も肯定もできません。
ただ、食事をするという、日常の、とても人間的な営みがこれほど美しく感じられる映画はありません。
音もなく、ことばもない作品でしたが、必見。
そして『聖者たちの食卓』。
今年のボリウッド三部作になりそうです。
ところで、学生の頃に友達と
「わたしたちはインド人が食べているものを“カレー”って一言にくくってるけど、日本の“おでん”と“煮物”くらいちがうんだろうね。」
とカレーのポテンシャルについて話したことがあります。
確かに、おでんと煮物に違いは明白ですが、外国人に説明するのは難しい。
カレーの方が種類はあるだろうし、もっと奥が深そう。(煮物も奥深いけどね。)
それにしても、カレーって美味しいよね。と。
(おでんも好きだけどね。)
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