Art? or Worth Nothing? / 『杉本博司 + ソフィ・カル + 青柳龍太「 UNSOLD」』展にて。
no need to stop, this is worth
nothing.
ここは見る価値がなさそうだ。
Here are the unsold.
これらは、売れ残りです。
展示はこんな自嘲たっぷりのことばでスタートします。
バラバラに出会った3人のアーティストが、東京・靖国神社まえの蚤の市に出店する…という、そもそもおもしろすぎる内容です。
ソフィ・カルは中古品を中心に、自身が書いた「本当の話」のエピソードにリンクした物を。
杉本博司は本物の古物に自身の作品1点を紛れ込ませて。
青柳龍太は骨董ともインスタレーションともとれる物たちを。
それぞれ、出店物にタグをつけ、説明や単なる名前(「クギ」「麻袋」など)、偽りの名前などを書いています。
売れ残ったものを、その時と同じような配置で置いていました。
一方で、売れてしまった物はタグだけをまとめて展示。
ちょっとウマく説明できないのですが、最初にあったことば、(見る価値がなさそうだ…など)は
まさしく「アート」そのものを皮肉っているような気がします。
アートか、ゴミか。
なにせ、アートなんて史上最強の贅沢品。嗜好品。
これだけモノがあふれ、コピーが出回り、すぐに消費され、シェアされ、キュレーションされる。
贅沢も行き過ぎると無駄になりますよね。
ミニマルやシンプルがいくら流行っても、すごく表面的な“反抗”なきがします。
ただ、わかってはいても、流行という一時的な虚像に加担せず生きることができない、見えない結界のなかで生かされているように感じます。
ちょっとウマく説明できないのですが、最初にあったことば、(見る価値がなさそうだ…など)は
まさしく「アート」そのものを皮肉っているような気がします。
アートか、ゴミか。
なにせ、アートなんて史上最強の贅沢品。嗜好品。
これだけモノがあふれ、コピーが出回り、すぐに消費され、シェアされ、キュレーションされる。
贅沢も行き過ぎると無駄になりますよね。
ミニマルやシンプルがいくら流行っても、すごく表面的な“反抗”なきがします。
ただ、わかってはいても、流行という一時的な虚像に加担せず生きることができない、見えない結界のなかで生かされているように感じます。
やはり、わたしにとってアートは、この世界、または社会というかたまりをいちばんクリアに「見せてくれる」手段なんだとおもいました。
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