Pushkin 2013 in Yokohama アングルに会いに。
すでに終わってしまいましたが、横浜であったプーシキン美術館展にいってきました。
お金のあるところに良いものは集まる…ということで、20世紀あたまにはじまり、ロシア革命以降コレクションを拡充していったプーシキン美術館。
モスクワへ遷都されたときにエルミタージュ美術館から多くの作品を移動し、いまでは世界で2番目所蔵品数を誇っているようです。
とくにフランスの印象派・ポスト印象はの名作を多く所蔵。まさに〝列強″の権力・権威です。
ゴッホのゴーギャンもピカソも素敵ですが…今回の私のお目当てはアングルです。
一点、『聖杯の前の聖母』という作品が展示されているとのこと!
『聖杯の前の聖母』1841年 |
当時は良く考えず「ボッティチェリとかラファエロの描く女性と同じように丸顔で可憐なんだけど、やたら妖艶だな…。」というくらいの印象。
ただ、そのモダンな美がきっかけでレポートの主題にしたような気がします。
新古典主義、といわれるバロック・ロココとロマン主義のあいだくらいにおこったムーブメント。
前後が派手だったので、どうもこの芸術的風潮は地味に忘れられがち・・・というか、教科書とかでも一行で終わっているような。
というか、「新」「古典主義」とかおいおい、とんだ真逆の言葉を足してきたな、という感じです。
たった一回ですがレポートを書いたことから、なんだか親近感があり、ヨーロッパの美術館を訪れたら、どうもアングルを贔屓目に捜してしまいます。
ただ意外と売れっ子で、「グラン・オダリスク」、「トルコ風呂」、「泉」などの有名な絵はしばしば海外遠征しており、ふらっとルーブルやオルセーに行ってもお留守だったりします。
女性の裸を轟々しい神ではなく、血の通うひととして描き上げる作品の数々は現代の私でもびっくりするエロさなので、さぞかし当時の方々はびっくりしたことでしょう…。
筆跡をのこさない美しい仕上げや、複数の視点をもつ構図。
このあたりは、のちの写真、またアトリエを”ファクトリー”と呼び作家の手の一切を消す現代アートのある風潮、あるいはピカソなどに代表されるキュビズムなど、逆説的ですが、アングルが否定気味だった一連の物事にもつながっている…ような気がしてしまいます。
特に、当時の新興勢力である写真ついては「そんなものは要らない!」 と激昂したようですが、結局はその後の写真家のある種お手本のような構図を次々と生み出し、また写真にもできないフォルム変形の追及をしたのはアングルの巨匠たる所以、ということでしょう。
かなりまえにNHKの日曜美術館でアングルの裸婦像について、写真家・篠山紀信さんがゲストでコメントしていたのは印象的でした。
古今東西〝ヴィーナス像″というのがあるわけですが、だいたいこの2派に集約されていると思います。
一つは『泉』。
もう一つはやはり『グラン・オダリスク』。
だいたい、この2つの構図になるとおもいますが、 その両方でこれほどの名画を残したのはアングルなのではないでしょうか。
▼Internet Museum ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル≪聖杯の前の聖母≫
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